沿革
「細川三斎像」公益財団法人 永青文庫 所蔵
教尊は細川三斎(忠興)公の碁や茶の湯等のお相手としても、格別の御懇意を受ける間柄でした。 豊前国小倉から肥後国へお国替えの際、三斎公は教尊をお供に連れて八代に移ります。
1638年(寛永15年)、教尊は八代で一寺を建立し、三斎公より「永照山光国寺」の寺号を賜りました。
1646年(正保3年)、細川行孝公が宇土へ領地替えとなったため、光国寺もお供寺として宇土へ引越しを命じられます。
翌年には、宇土新町四丁目に本堂が建立されました。
十一代尽性の頃、門徒一同の要望により、宇土町新屋敷(現在の定府町)に移転し、現在、十七代重浩に至ります。
宇土とともに
宇土市は熊本県のほぼ中央部に位置しており、海や山々に恵まれた肥沃な土地が広がる温暖で自然豊かな都市です。 名水百選に選ばれた「轟(とどろき)水源」や、同じく渚百選に選ばれた「御輿来(おこしき)海岸」に象徴されるように優れた自然と、 宇土城跡や網田焼窯跡といった歴史的な文化遺産が点在しています。
現在の市街地は古くは宇土藩3万石の城下町として発展してきたものです。 かつての藩主・細川氏は屋敷近くから光国寺の日没勤行の灯明をご覧になっていたようです。
出版
源 重浩(現住職)の主要論文
真宗関係
| 「親鸞における罪悪思想の一考察――自己中心性の問題をめぐって――」 | 『親鸞と浄土教』(1986) |
| 「親鸞における「真実性」の問題――信心の自己確認について――」 | 『真宗学』75・76号(1987) |
仏教関係
| 「道元における「身心脱落」の意味――「智」と「境」の問題をめぐって――」 | 『龍谷大学論集』413号(1978) |
哲学関係
| 「カントにおける「本来の自己」の問題――主として認識論の範囲において――」 | 『仏教 その文化と歴史』(1995) |
環境倫理
| 「環境倫理と慈悲の問題点」 | 『日本仏教学会』72号(2006) |
初期唯識思想と独我論
| 「Trisvabhāvakārikā における真如の問題 ――コンゼの唯識理解を手がかりとして――」 | 『印度学仏教学研究』(2007) |
| 「初期唯識思想と独我論(序説)――『解深密経』第八章の場合――」 | 『南アジア古典学』3号(2008) |
| 「初期唯識思想と独我論 ――安慧と『成唯識論』――」 | 『印度学仏教学研究』(2009) |
| 「初期唯識思想と独我論 ――夢の喩例について――」 | 『南アジア古典学』5号(2010) |
| 「法界現量について ――初期唯識思想と独我論――」 | 『印度学仏教学研究』(2011) |
| 「バークリにおける独我論の問題 ――初期唯識思想との関連において――」 | 『実践哲学研究』33号(2011) |
| 「ダルマキールティの Santānāntarasiddhi ――初期唯識思想と独我論――」 | 『南アジア古典学』7号(2012) |
| 「新古唯識の相違点――初期唯識思想と独我論――」 | 『印度学仏教学研究』(2014) |
| 「「本質」と「何かあるもの」について ――初期唯識思想と独我論――」 | 『仏教学研究』72号(2016) |
| 「安慧の「何かあるもの」と実在の問題 ――初期唯識思想と独我論――」 | 『南アジア古典学』12号(2017) |
| 「安慧の「唯識性」のもつ二義性について ――初期唯識思想と独我論――」 | 『印度学仏教学研究』(2017) |
| 「ラトナキールティの独我論」 | 『九州龍谷短期大学紀要』63号(2017) |
| 「新古唯識の諸問題――初期唯識思想と独我論――」 | 『九州龍谷短期大学紀要』64号(2018) |
エッセイ
| 『念仏の心象風景』 | 百華苑(1990) |
源 了圓(現住職の父賢随の弟)主要著作
| 『義理と人情』 | (中公新書 1969) |
| 『徳川合理思想の系譜』 | (中央公論社 1972) |
| 『徳川思想小史』 | (中公新書 1973) |
| 『近世初期実学思想の研究』 | (創文社 1980) |
| 『実学思想の系譜』 | (講談社学術文庫 1986) |
| 『型』 | (叢書 身体の思想2 創文社 1989) |
| 『佐久間象山』 | (歴史人物シリーズ・幕末維新の群像8 PHP 1990) |
| 『蓮如』 | (浄土仏教の思想12 講談社 1993) |
| 『鉄眼』 | (禅入門10 講談社 1994) |
| 『横井小楠研究』 | (藤原書店 2013) |
| 『現代日本を考える』 | (梅原猛 全対話4 集英社 1982) |
